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由紀

Author:由紀
劇場で見た作品のみレビューしてます。

※基本的にネタバレしてます。その点ご留意ください。※

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★★★★☆・・・オススメ!
★★★☆☆・・・一見の価値はあり
★★☆☆☆・・・悪くはないけど
★☆☆☆☆・・・私は薦めない

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風立ちぬ
72歳の純情、急ぎ足の遺言

英題:THE WIND RISES
製作:2013年 日本、宮崎駿監督
声の出演:庵野秀明、瀧本美織、ほか
レート:★★★★★

the-wind-rises-10.jpg

飛行機乗りを夢見る少年、堀越二郎。

二郎は夢の中で自宅の屋根に設置した自作の飛行機に乗り、空高く舞い上がる。そこは黄金色に染まる世界。夢の中ではどこまでも自由だ。そんな二郎の前に不穏な空気をまとった巨大な飛空艇が現れる。二郎はメガネの上からゴーグルをかけ構える。刹那、飛行艇から放たれた閃光を受け二郎は飛行機もろとも地上へ落ちていく。

そこで目が覚める二郎。

二郎は自分に問う。「目の悪い自分は飛行機乗りになれるのだろうか?」。妹と一緒に星空を眺めるその目はどこまでも澄み渡っていてまっすぐ。しかし、妹が見つける流れ星は、二郎の目には見えない。二郎の迷いに光明を射してくれたのは、イタリアの著名な航空機設計家、ジャンニ・カプローニ。夢の中でカプローニは「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもなく、それ自体が美しい夢なのだ。設計家は夢にカタチを与えるのだ!」と言う。

目覚めた二郎は、はっきりと自分の夢を見定める。航空機設計家になる夢を。


夢を叶えるため、旧東京帝大へ進学した二郎は、帰省先から東京へ戻る途中の汽車で、菜穂子に出逢う。大学生とまだ幼い菜穂子、運命の出逢いだ。そんな矢先、東京を関東大震災が襲う。怪我をした女中のお絹と菜穂子を助けた二郎は、名前も告げぬまま去っていく。大学に辿り着いた二郎は、火の手が回りそうな書物の山を守りながら、再びカプローニと会話する。「日本の少年よ、風は吹いているか!」「はい、大風です!」「では、生きねばならん!」。


数年後、二郎は無事大学を卒業し、名古屋の三菱内燃機へ就職する。いよいよ設計の仕事に就いた彼は上司のシゴキもなんのその、図面引きに没頭する。しかし二郎ら設計課が作った「隼」は、陸軍のお偉方の前でテスト飛行に失敗。二郎は上司のはからいで航空製造の先進国ドイツへ留学することに。

ドイツでは設計技術の20年の差を思い知らされる。しかし、行く先に迷いを抱えた時、二郎はカプローニとの対話の中で光を見出す。カプローニは言う。「創造的人生の持ち時間は10年だ・・。君の10年を、力を尽くして生きなさい」。二郎たちは、必ずドイツとの差を埋めてみせることを決意するのだった。


それから3年後の1932年。二郎は新型の戦闘機(七試艦戦)の設計主任に抜擢される。社員が人力で運ぶこの試作機は、まだまだポッチャリ型の体躯で、テスト飛行でもあえなく失敗。喧々諤々と仲間たちと原因を探る二郎。失敗を経てなお、二郎の情熱は消えるどころか、より大きなものへと変化していくのだった。


そんな二郎はある年の夏、軽井沢で菜穂子と運命の再会を果たす。森の奥の小さな泉で、菜穂子は二郎との再会を祈っていた。震災で助けてもらったあの日から、菜穂子にとって二郎は王子様だったのだ。やがて病の兆候を見せ始める菜穂子だが、軽井沢での日々を通して、二郎の心は決まっていた。二人は父親の前で、婚姻の約束を交わす。

名古屋に戻り仕事に没頭していた二郎だが、菜穂子が喀血した知らせが届くや、東京へ。汽車の中で計算尺を手に仕事を続ける二郎の目からは涙がこぼれる。東京へ着いた二郎は庭先から菜穂子の部屋へ。結核がうつる心配をする菜穂子にそっと口づけをする二郎。その足で名古屋へ戻るが、菜穂子は空気のきれいな高原の療養所へ。

仕事は順調に進んでいた二郎だが、彼からの手紙を受け取った菜穂子はたまらない気持ちになり、療養所を抜けだして名古屋へ。ホームで迎えた二郎は覚悟を決め、二人で暮らすことにする。

その夜、ささやかな婚礼の儀をとり行い、晴れて夫婦になった二人。毎日帰りの遅い二郎を責める妹・加代に二郎は、「僕らは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ」と言う。菜穂子の待つ離れに帰り、横になった菜穂子の隣で仕事を続ける二郎。菜穂子にせがまれ、左手を菜穂子とつないだままで図面を引く。「片手で図面を引く大会があれば優勝する自信があるよ」とおどける二郎。


零戦の原型となる九試単戦を作り上げた二郎は、倒れこむように菜穂子の床へ。翌朝、テスト飛行に出かける二郎を見送った菜穂子は、「今日は調子がいいので、ちょっと散歩してきます」と言い残し、家を出る。いち早く気付いた加代は連れ戻そうとするが黒川夫人に止められ、菜穂子はそのまま戻ってくることはなかった。その頃、九試はテスト飛行でノルマとなる速度を達成し、歓喜に湧いていた。


それから時は経ち、無数の飛行機の残骸の中に一人佇む二郎。そんな彼にカプローニは問う、「君の10年はどうだったかね?」。二郎は「力は尽くしました・・、終わりはズタズタでしたが」。そしてカプローニが、ずっとここで二郎を待っていた、という人を指さす。そこにはあの白いパラソルを持った菜穂子がいた。


「あなた・・。生きて・・」。その時、大きな風が二郎を包んだ。菜穂子は風とともに消えていった。





オープニングで二郎が自作の飛行機で大空を舞うシーンを見た瞬間からすでに、涙腺にこみ上げてくるものを抑えずにはいられなかった。まだストーリーもへったくれもない、始まったばかりなのに。その感涙は始終、最後まで止まることがなかった。もちろんストーリーの感動もあるのだが、それ以上に、二郎の姿に宮崎駿その人を重ねて見ていたからだ。

困難な時代に直面しても、凛として、自分の夢を追い、自分にできることをやり遂げる、そんな意思を持つこと。これは彼がずっと言い続けてきたことで、その態度はあの日に身を持って示している。

原発の混乱のさなか、ジブリの幹部らがスタッフ一同に出社を控えるよう伝達しようとしていていることを知った駿監督が会議室へ。「どういうことですか、私は釈然としません!」と言う監督にスタッフが「出社をすれば混乱を招くことに・・」と言った瞬間、監督は「混乱するなんて誰が言ったんだ!出社しなくなることの方が混乱だ!」と一喝。「我々生産者は、生産点を放棄してはいけないんだ!」と言い放った。

あの時、ほとんどの人が安全第一を考えて我が身の食料を抱え、止まない余震に怯え、誰かに指針を示してもらうことを待ち、募る不安を政府にぶちまけていた、あの時。いま自分たちができることをやり続ける、パン屋はパンを焼き、アニメーターである自分たちは机に向かって絵を描くことの重要性を訴えた。

監督は本作の中でまさにそうした、不安な時代に生きながらも、そのときそのときに力を尽くして生きた人々を描いている。震災のシーンで描かれていた人物たち、我が身をかえりみず菜穂子らを手助けした二郎も、手助けを受けた菜穂子も、菜穂子らを迎えにきた使用人たちも、大学で書物を守っていた本庄も、みなあの混乱の中にも関わらず、背筋を正してまっすぐに、寝言を言うことなく自分ができることをしていたことに感動した。

監督はこうも言っている。「みんな口を開けば「不安だ」って言うけれど、「じゃあ、前は不安はなかったの?」と聞きたくなるくらい、実は状況はそれほど変わってないと思います」。「自分の親たちも困った困ったと言いながら生きていたし、祖父母もそうだった。困らないで生きていけるという考え方自体が、おかしいと思った方がいい」。



この作品は、重い病にかかっても、自分の技術が人の命を奪うことになる時代に生きていても、自分で運命を決め、自分の人生を生き切った人たちを描いている。

それがまさに駿監督が一貫して言い続けてきたことであり、彼の生き様のすべてがこの作品に投影されていると言ってもいい。そういう意味で、本作は駿監督にとっての早すぎる遺言状だと思う。

この時代に作る映画として、一つの到達点に達しているこれほどの作品を作れる人間が、今後出てくることがまったく想像できない。そう考えると、駿監督にはまだまだ作品を作り続けて欲しいし、これが最後になって欲しくない。最近のインタビュー映像を見ると以前のような怒気をまとった"ボヤキ"が見られず、いくぶん痩身になったようにも見受けられる。健康でいてもらえるのが一番だが、もう少し、軟弱な時代に育った我々を叱り飛ばす、口うるさいオヤジでいて欲しい。



内容面に加え、作画レベルで見ても、この映画は監督の集大成のような作品になっている。あちこちで過去作とだぶるようなシーンがお目にかかれるし、監督の真骨頂である"風を描く技術"は最高点に達している。丘の上で写生する菜穂子を風が吹き抜けるシーン。髪や衣服の中を、まるでいきもののように風が通り抜ける表現は素晴らしいの一言。また、その人の感情を髪の動きで表現する演出法は監督が編み出した、不世出の技法だと思う。

あと、監督が本当に描きたかった飛行機、戦闘機。変態的な軍事マニアの彼が、思う存分とまでは行かないまでも、過去作とは比べ物にならないくらいたくさん、自由に飛行機を描いている。そのほとんどを墜落させなければならなかったが、カプローニとの夢のシーンなどはとりわけ嬉々として鉛筆を動かしていただろうことを想像するにつけ、子供のような監督の顔が思い浮かぶ(もっとも、そんな楽しめたのはイメージボードを描いていた段階までだろうけど。あとの工程は産みの苦しみしかなかっただろうなぁ)。


最後に、キスシーン。1回くらいと思ってたら、何回も。シータとパズーのあのシーンでさえ頑なにキスを拒んだあの監督が、おそらく照れながら丁寧に描いた、おそらく最後の大人のキスシーン。

早すぎる遺言と、遅すぎる純情。



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テーマ:映画レビュー - ジャンル:映画

映画 | 18:02:22 | トラックバック(0) | コメント(0)
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